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京都地方裁判所 平成8年(行ウ)17号 判決

原告

澤島光輝

右訴訟代理人弁護士

福井啓介

田中茂

中隆志

被告

地方公務員災害補償基金京都市支部長桝本賴兼

右訴訟代理人弁護士

田辺照雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し地方公務員災害補償法に基づき平成六年六月九日付けでした公務外認定処分を取り消す。

第二事案の概要

一  請求の類型(訴訟物)

本件は、京都市バス(以下「市バス」という。)の運転手である原告が同人の接客態度に関する苦情を処理する際に乗客から顔面を殴打されて負った傷害は公務に起因するものであるとして被告のした公務外認定処分の取消しを求めた抗告訴訟である。

二  前提事実

1  原告は、昭和三六年八月一六日付けで京都市交通局に採用され、昭和五三年一〇月から市バスの運転手として勤務している。(前段は原告本人、後段は当事者間に争いがない。)

2  原告は平成五年九月六日午後九時三五分ころ京都市山科区勧修寺金ヶ崎橋(以下「金ヶ崎橋」という。)南西角路上において原告が同日乗務した市バスに乗り合わせた乗客(年齢が四〇歳から四五歳程度、身長が約一八〇センチメートルの氏名不詳の男性。以下「甲」という。)から顔面を殴打された。甲は原告の接客態度が悪いとして京都市交通局横大路営業所(以下「営業所」という。)を訪れて苦情を述べ、さらに原告の上司とともに金ヶ崎橋へ赴いたものであった。原告は京都市の公務員としての公務遂行中に甲の暴行により上顎歯損傷、上口唇部挫創及び頚部捻挫の各傷害(以下「本件傷害」という。)を負った。(争いがない。)

3  そこで、原告は本件傷害について平成六年四月二六日付けで被告に対し地方公務員災害補償法に基づく公務災害認定を請求したが、被告は原告に対し同年六月九日付けで公務外認定処分をした。これに対し、原告は平成六年六月二七日付けで地方公務員災害補償基金京都市支部審査会に対し審査請求をしたが、同支部審査会は平成七年六月一三日付けでこれを棄却した。さらに、原告は平成七年七月一七日付けで地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は平成八年四月二四日付けでこれを棄却した(争いがない。)。

三  主な争点

本件傷害は原告が従事した公務に起因するものか否か。

第三争点に関する当事者の主張

一  原告

1  原告は平成五年九月六日公務として京都市内での市バス運転業務に就き、同日午後七時三〇分ころに八丁畷停留所で停車した際、乗客の女子児童が「ありがとう」と言って下車しようとしたことがあった。原告はこれに応じて「はい」と返事をしたにもかかわらず、乗客の甲が原告に対し「子供がありがとうと言っているのになぜ返事しないのか。」といきなり詰問し始めた。さらに、甲は、原告が「気持ちよく返事しています。」と答えたことにも納得せず、原告の腕をつかんだり、車内に掲げられていた市バスの車番や原告の名札を取ろうとした。そこで、原告が甲を制止したところ、甲はそのまま下車した。

2(一)  原告はその後営業所へバスを納車し、事務所に点呼者が不在だったため、バスの車内における甲との出来事の内容を報告することができず、そのまま退庁した。

原告は午後八時五五分ころ帰宅し、営業所の村尾昭至運転係長(以下「村尾係長」という。)から電話があったと妻から知らされたので、同係長へ電話をした。そして、村尾係長が原告に対し「乗務中のトラブルのことで客が営業所に来ているから、今から営業所まで来てほしい。」と求めたのに対し、原告は翌日にしてもらうよう依頼した。しかし、村尾係長は原告に対し「迎えにいくから自宅で待機しているように。」と改めて指示した。

(二)  さらに、原告は午後九時一〇分ころ営業所の桐山修輔業務主任(以下「桐山主任」という。)から電話で「村尾係長が相手方と二人で自宅へ向かった。暗くて分からないといけないので、通りに出て待つように。」と指示された。

3(一)  そこで、原告が桐山主任の指示に従い、金ヶ崎橋南西角の路上で待機していると、村尾係長と甲が営業所の公用車でやって来た。原告は営業所へ戻って甲や村尾係長と話し合いをするものと思っていたが、村尾係長が車から降りてきたので同係長において同路上で甲と話し合いをするつもりでいることがわかった。

原告は、甲や村尾係長とともに営業所へ向かうものと考えていたので同係長に対し「こんなに夜遅く自宅近くで困るなあ。」と言った。しかし、原告は村尾係長があくまでこの場所で話し合いをするつもりであると思ったため、甲から二、三メートル離れた地点に立ち、村尾係長に対しバスに乗務していたときの甲との出来事の内容を説明し始めた。

(二)  ところが、原告が村尾係長に説明し始めて二、三分が経過したとき、甲が原告の顔をいきなり殴打した。このため、原告は殴られた衝撃で口を切るとともに、その場に転倒した。

これに対し、原告は甲に対し反撃をせず、甲が原告を殴打したのに引き続きポケットからナイフを取り出したためにその場から逃げ出した。

4  原告は殴られた場所から逃げ出すと、近くの家で警察への通報と救急車の要請を依頼した。その後、原告はなぎ辻病院へ搬送され、同病院で本件傷害に対する治療を受け、原告が逃げ出した後甲を京都市伏見区内へ送り届けて営業所へ戻った村尾係長とともに山科警察署で警察官から事情聴取を受けた。

なお、原告は後日村尾係長から、同係長が甲を送り届けた際甲から「自分は執行猶予中の身で、自分が警察に捕まったら家族三人の面倒見てくれるか。」などと脅されたと聞かされた。

5  このように、本件傷害は原告の市バス運転中における接客態度に関する甲の苦情を処理する過程で甲が及んだ暴行に基づくものであるが、原告はバスの車内での応対及び甲や村尾係長との話し合いのいずれの場面においても甲を特に挑発するような言動に出たわけではない。したがって、本件傷害は公務に起因するものというべきである。

二  被告

1  原告は公務として平成五年九月六日午後七時に営業所を出発する第二一号系統の市バスの運転業務に就き、八丁畷、中書島、醍醐の各停留所を経て小野の停留所に至り、同停留所で折り返した後同日午後八時ころには八丁畷停留所付近にさしかかった。原告は同日午後八時五分ころ八丁畷の停留所で停車した際、乗客の女子児童が「ありがとう」と言って下車したのにこれを無視し、何も応答しなかった。そのため、甲が児童のあいさつを無視したとして原告の接客態度の悪さを非難したが、原告は逆に「文句があるなら車庫まで来い。」と喧嘩を売るような言葉を口にした。

2(一)  その後、原告は営業所に乗務したバスを納車したが、乗務中の甲とのトラブルを上司である村尾係長らに故意に報告しないで退庁した。

(二)  ところが、同日午後八時二五分ころ甲が営業所へ来所し、直ちに原告と面談させるよう執拗に求めたので、村尾係長はやむなく原告に営業所に来るよう指示するとともに、営業所の自動車で原告を自宅付近まで迎えに行くことにした。ところが、それを聞いた甲が謝罪してさえもらえれば満足であるから暴力を振るわないことを条件に自分も同行したいと希望した。そこで、村尾係長はこれを受け入れ、原告に対し電話で自宅付近の表通りで待機するよう指示した。

一方、営業所の桐山主任は、村尾係長の指示を受け午後九時一〇分ころ原告に対し電話で村尾係長と甲が原告の待機場所へ向かったと伝え、さらに何を言われてもただ謝るよう指示した。

3  原告は午後九時三五分ころ金ヶ崎橋南西角路上で待機していたが、村尾係長が自動車を道路の左端に停車させたところ、助手席に乗っていた甲が村尾係長より先に下車し原告の近くへ行き言葉を交わした。そして、村尾係長が甲と原告のもとへ近づいたときには両者はすでに口論を始めていた。まもなく、原告が甲に対し「誰にものを言っているのや。」と声を荒げたのに対し、甲は「おまえ居直っているやないか。」と言うなり右手で原告の左顔面を殴打した。これに対し、原告は直ちに足で甲を蹴り返し、そのままその場所から立ち去った。

4  以上によれば、本件傷害は原告が謝罪するようにとの公務遂行上の指示に違反したばかりか、個人的に甲を挑発した結果暴行を受けたことによって生じたものであるから公務と相当因果関係がない。したがって、本件傷害は公務に起因するものではない。

第四争点に対する当裁判所の判断

一  前提事実に加え、証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

1  原告は昭和一五年九月二日生まれの男性で、昭和三六年八月一六日に京都市交通局に整備士として採用され、昭和五三年一〇月から自動車(市バス)の運転手として勤務し、平成五年当時は京都市交通局横大路営業所に所属して運転業務に従事していたものである。

2  原告は平成五年九月六日午後四時二五分に営業所に出勤し、第二一号系統のバスの運転業務に就き、同日午後七時から二回目の同系統バスを運転し、営業所を始発し、八丁畷、中書島、醍醐の各停留所を経て小野停留所で折り返し、営業所まで戻る経路を進行し、同日午後八時五分ころには八丁畷の停留所に至った。

原告はそのころ同停留所にバスを停止させ乗客の降車を待つ間、乗客の女子児童が「ありがとう」と言いながら降車したのに続いて、児童の父親らしい男性(甲)から「子供がありがとうと言っているのに返事してへんやないか。」などと強い口調で非難された。これに対し原告は「はい。」と返事をしたなどと応えたが、なおも「何も言ってないやないか。」などとして納得しない甲と押し問答となった。その後、甲は、原告の氏名等を知ろうとしてバスの車番や原告の胸の名札に手を掛けたりして原告ともみ合ったが、原告からことごとく制止され、さらに「文句があるんやったら車庫に来い。」と言われたのを最後に、原告の氏名表示を見て「フクシマやな、覚えとけ。」と言いながら下車して行った。なお、甲が「フクシマやな」と言ったのは、原告の氏名の「澤島」を誤読したものであった。

3  原告はその後営業所前停留所までのバスの運行を続け、同日午後八時一五分ころには車両の納車を終えたが、甲との揉め事は軽微ですでに解決が終わったなどとして、これを上司に報告することなくそのころ退勤してしまった。

なお、平成五年九月当時にあっては、営業所に所属するバス運転手は乗務を終えた際にバス運行用の鍵、乗車用回数券等を乗車券係の職員に返還し、その後運行管理者又は運行管理補助者から点呼を受け、同人らに対し運行に関する事項のほかに事故や乗客からの苦情の有無及びその内容を軽重に関わりなく報告するように指導されていた。

4  ところが、原告の退勤後間もない同日午後八時二五分ころになって同日市バスに乗車していたという甲が営業所を訪れ、相手を構わず「・・シマはおるか。子供がバスを降りるときに『ありがとうございました。』と一生懸命言ったのに、運転手は何も言わなかった。運転手に対しどういう教育をしているのか。運転手が文句があるなら車庫まで来いと言ったから来た。運転手を出せ。」などと大声で不満を述べ立てた。

その応対に立った村尾係長は、甲から事情を確かめるうち、甲が子供とともに同日の第二一号系統のバスに乗車し八丁畷の停留所で降りた際に当該バスの運転手であった原告との間で揉め事があったらしいことを認知した。しかし、村尾係長は原告から、甲との出来事の報告を受けておらず、肝心の原告がすでに退勤していたこともあって、甲にその旨伝えるとともに「後日事情を聞いて返事をする。」とか「明日原告に対して指導する。」などと説得を試みてみた。ところが、甲はこの説得に応じないで同係長に対し「運転手を呼ぶまで帰らない。何時間かかっても車庫で待つ。」などと言って原告との面会を執拗に要求した。

そこで、村尾係長はやむなく同日午後八時五〇分ころ原告方に電話をかけ、応対した原告の妻に対し原告に営業所へ戻ってくれと伝言するよう依頼した。そして、村尾係長はその直後ころ原告が電話してきた際にも、原告の乗務中のトラブルのことで乗客が営業所に来ているので営業所に来て欲しいと指示したが、原告がすでに飲酒しているとして営業所へ出向くことを拒絶したので、自らが原告の自宅の近くまで迎えに行くと伝え、原告に対し自宅付近で待機するように指示した。

そうして、原告との電話を終えた村尾係長が甲に対し原告を自宅近くまで迎えに行くことになったので、一時間程の間営業所で待っていてほしいと依頼したところ、甲は「謝ってさえもらえたら済むことだから一緒に行く。」と言ってあくまで同係長とともに原告が待機する場所へ同行することを求めた。村尾係長は甲が営業所を訪れたころに比べてかなり冷静さを取り戻していたことや、原告からの謝罪を得られれば満足する旨の姿勢を示したことから、甲を同行させ原告に会わせればより適切かつ早期に甲の苦情を処理することができると判断し、甲に対し原告に会っても決して暴力を振るわないと約束させた上、原告が待機する場所まで同行させることに決めた。

5  村尾係長は甲とともに営業所を出る際桐山主任に対し、甲を同行させるから甲と面会したときに同人から何を言われても「すみません」と言って謝るようにとの指示を電話で原告に対してするように指示した。

桐山主任は、村尾係長らが営業所を出発した後原告方に電話をかけ、食事中だとして電話に出なかった原告の代わりに応対に出た原告の妻を通じて村尾係長からの指示内容を原告に伝えた。

6  村尾係長らが営業所の自動車で同日午後九時三五分ころ金ヶ崎橋南西角に到着したところ、原告はすでに同所付近路上で待機していた。そして、村尾係長が自動車を道路の左端に停車させたところ、助手席に乗っていた甲がすぐに下車し、村尾係長がこれに続いて自動車を降りた。

村尾係長が自動車を降りたとき、原告と甲は助手席側の車外に立っており、すでに原告が甲に対してバスの中での出来事について何か話しかけていた。その直後、村尾係長が三名で話し合いをしようとして甲と原告の間に入ろうとしたところ、甲が「何、居直ってんねや。」と荒々しく言ったのに対し、原告において「誰にもの言うてんねや。」と言ってこれに反発した直後、甲がいきなり右手で原告の左顔面を一回殴打して本件傷害を負わせた上、さらにポケットから刃物様の物を取り出した。これを見た村尾係長は、「約束が違うやないか。」と言いつつ直ちに甲を羽交い締めにして同人を制止し、原告は右足で甲を蹴り返すと甲からの攻撃を避けるためそのまま南の方向へ走って逃げた。

7  金ヶ崎橋南西角路上から避難した原告はそのまま近くの民家に行き、警察への通報を依頼した後、なぎ辻病院で本件傷害の治療を受けた。

一方、村尾係長は原告が金ヶ崎橋南西角路上から立ち去るのを見届けた後、乗ってきた自動車で甲を京都市伏見区内まで送った。そして、その間村尾係長は甲の住所、氏名を問いただしたが甲から答えを得ることができなかった。

以上の事実が認められる。

二  事実の認定に関し次のとおり補足する。

1  原告は、八丁畷の停留所でのバス内にあって甲に対し「文句があるんやったら車庫に来い。」との言葉を口にしたことを争い、原告本人尋問の結果においてもその事実を否定する供述をしている。

しかし、前記各事実及び各証拠並びに弁論の全趣旨によれば、甲はバスを降車した後多い目に見ても約二〇分程度しか経っていない同日午後八時二五分ころには営業所を訪れて「・・シマおるか。」とか「運転手から、文句があるんやったら車庫に来い。」などと言われたと訴え、運転手に会わせろとの要求を続けたこと、原告と甲とのバスの中での揉み合いは、甲が原告の氏名等を知ろうとし、原告がこれを阻止しようとする面があって、甲が原告の氏名等を確認したころにその揉め事が収束していることが認められ、これらの点からして、原告の右のような言葉があったからわざわざ夜間に営業所を訪れるに至ったものと推認するほかないところであって、以上のような客観的な経過等からして、原告の本人尋問の結果中の右の部分は信用できず、前記認定を覆すには足りない。

2  また、原告は村尾係長らから甲に対して謝るようにとの指示を受けておらず、営業所に戻って苦情を処理するつもりであったと主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに沿う供述がある。

しかし、原告は、本人尋問において、桐山主任から「村尾係長と加害者(甲)が自宅に向かった。」などの連絡を受けたことはあり、その時には甲を危険人物と感じ殴られると思っていたと供述しており、原告の供述どおりとすると、そのような人物である甲と同じ自動車に乗車し営業所に赴く意思であったということになり、その点について原告が反対したり、別個の方法を提言したりした形跡もないし(原告本人尋問の結果中にも見られない。)、そのような争い状態にある原告と甲を村尾係長が何らの解決策もなく同じ自動車に乗車させようとしたと認めることも経験則に反するものである。

すでに認定したとおり原告は上司の指示等に意見等を述べることのできる人物であるから、以上の経過は不自然に過ぎるものであるし、金ヶ崎橋南西角付近において村尾係長らと落ち合った後も、原告は同係長らと営業所に向かおうとする素振りも見せていないこと(原告本人尋問の結果)などに照らしても、原告の右の点に関する供述も到底信用できないから、前記認定を左右するに足りない。

3  さらに、原告は金ヶ崎橋南西角付近において村尾係長に対してバスの車内における出来事の内容を説明し始めた後二、三分経ったころ、それまで黙って聞いていた甲が突然殴ってきたと主張し、この点にあっても原告本人尋問の結果中にはこれに沿う供述がある。

そして、原告の供述によれば、そのとき原告が村尾係長に対してしようとした説明のおおまかな内容は「八丁畷でお客さんからありがとうとのあいさつに対する返事を言ってないと言われましたが、お客さんが後ろに座っていましたので聞こえなかったんじゃないかということを言いました。お客さんは何も言ってないんだとの一点張りで、私の手をつかんだり名札や時計を取り上げようとし、私は無抵抗で一方的にやられました。それで私は最後にほかのお客さんが迷惑するので降りていただけませんかと言いましたら降りましたので、これは現場で処理が済んでるんじゃないですか。」というものである。

しかし、前記認定の経過からして、甲の面前で原告が右のような説明をしたとすると、甲が黙って二、三分も聞いていたなどということは到底想定し難いところであり、直ちに強い反発なりがあったであろうし、これまでに説示したとおり、原告の本人尋問における供述は多くの場面で矛盾する点があり、その供述によれば営業所へ戻るつもりであった原告がその場で事情を比較的詳しく説明をしたとすることも、たやすくは信用することができないのである。

4  原告は、金ヶ崎橋南西角付近における甲が原告に対する暴行に及ぶまでの状況に関する村尾係長の供述は(証拠略)中の同係長作成の「報告書」及び「現認報告書」と齟齬があると主張し、厳密にいえば、後者の表現にやや正確性を欠いた部分があるものの、これは前記認定を左右するようなものではなく、他に前記認定を覆すに足りる証拠もない。

三  ところで、地方公務員災害補償法二六条は「職員が公務上負傷し、若しくは疾病にかかり、又は通勤により負傷し、若しくは疾病にかかった場合においては、療養補償として、必要な療養を行い、又は必要な費用を支給する。」と定めており、そこに言う「職員が公務上負傷し」た場合とは、職員が公務の遂行中に公務に起因して、すなわち公務に内在し又は通常随伴する危険が現実化したことによって負傷した場合を指すものと理解される。したがって、公務員が公務の遂行中に負傷した場合であっても、それが公務に内在し又は通常随伴する危険が現実化したものとはいえないような、例えば職員の積極的な私的行為や恣意的な行為によって負傷した場合は、負傷と公務との相当因果関係を否定するほかなく、公務に起因したとはいうことができない。

以上の立場で本件を見ると、原告が京都市交通局に勤務する公務員として自らのバス運転業務に対する苦情処理の公務の遂行中に甲から殴打されて本件傷害を受けたことは争いがない。

ところが、先に摘示・認定した各事実並びに弁論の全趣旨によれば、原告の運転業務中における女子児童に対する応接が端緒となって、原告はその父親らしい甲との間でのやり取りを余儀なくされ、その中で「文句があるんやったら車庫に来い。」との言葉を口にしたため、これが大きな原因となって甲の営業所への来所を誘発し、さらに原告が納車後上司からの指導に反して甲との出来事を上司に報告することなく退勤し、かつ上司の指示どおりに営業所に出向くことを拒否したことから、上司が甲の要望に応ずるほかないような羽目になって、結局夜間京都市内の路上で原告、甲及び上司が落ち合わざるを得ない状況に立ち至ったものと認められる。

そのうえ、原告は上司から甲と会った場合には何を言われても謝るように指示されていたにもかかわらず、謝罪するような態度をまったく示さなかった上に、甲に「誰にもの言うてんねや。」と言い返す行動に出たために、その直後に本件傷害を受けるに至ったものであることはすでに認定したとおりである。

このような事の発端から本件傷害に至る一連の経過にかんがみると、本件傷害の直接の原因は原告の現場における態度にあり、謝罪を怠ったことは上司の指示に反するものであるし、「誰にもの言うてんねや。」との言葉も京都市のバス運転業務に従事する公務員として接客態度に対する苦情処理に当たっていた者としては口にするべき内容ではなかったものというべきである(〈証拠略〉)。したがって、まずこの点だけからしても、本件傷害が市バスの運転業(公)務に通常伴うような性質のものと認定することはまことに困難である。そのうえ、原告や村尾係長が現場に至らざるをえなかった状況も、要するところ、原告の甲に対する「文句があるんやったら車庫に来い。」との言葉、及び原告がそのような口にしてはならない言葉を述べながら、その言葉及び上司からの指導に反して甲との出来事の報告を怠ったまま退勤してしまった上、営業所への出頭を拒絶したことによって招来された末に、これが本件傷害が発生する間接的な原因となったものである。これらの点においても、原告の行動は公務員としての通常期待され、反復して行われているものではなく、これら特有の行動が原因となった本件傷害が公務に通常内在する危険が現実化したものとは到底認められない。

そうすると、原告の本件傷害は市バスの運転業(公)務に起因して発生したとはいえない。

第五結論

以上の次第で、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大出晃之 裁判官 磯貝祐一 裁判官 吉岡茂之)

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